ノーといっても構わない
2010年8月19日 ゲーム諸事情により、部分だけ抜粋。あくまで習作ということでご了承を。
http://www.wizards.com/dnd/Article.aspx?x=dnd/dusg/20100617
よいマスターと素晴らしいマスターの差は、「イエス」と言える能力。プレイヤーがしょうもない判定をやりたいと言い出したら?適切な非戦闘遭遇をアレンジしたまえ。誰かがドラゴン誌のシャドーマインド・アサシンを使いたいと言い出したら?キャンペーンに合うキャラクターの背景を作ろう。とはいえ、プレイヤーの要求に次ぐ要求の波に呑まれ、マスターは途方にくれることもあるだろう。「俺って何なのよ?」
ほとんどのマスターは世界観の創造と、マスターとしてのゲームマネージメント、両方を好む。完璧なマスターとは、ひょっとすると二個の人間になるのかもしれない。片方が世界や冒険をつくり、もう片方がゲームを運営する。理想的には、一人で両方の側面を楽しみ、ゲームを運営していく中で「イエス」というスキルを磨いていければいい。それでも、「ノー」と言いたくても、そうするのがよろしくない気がするシチュエーションがどうしても出てくる。
ちょっとしたコツをご覧に入れよう。時には「ノー」と言っても構わない。
・馬鹿言うな!
「イエス」と言えるのもスキルのうちだが、「ノー」で八方丸く収められるのは至難の業だろう。もちろん、アホな要求を「却下」できるのはマスターの伝家の宝刀ではあるけれど。ときには嫌味っぽく、またときには幼稚っぽく、プレイヤーはゲームのルールからぶっ飛んだことができるかどうか聞いてくる。
「翼を生やしてバルコニーから飛んでいい?」
「特技やアイテム、伝説の道にもないなら駄目」
「いいじゃん、いいじゃん、いいじゃん!」
「1出したけど、自動クリティカルだよね?」
「馬鹿言え!」
「イエス」と言えるスキルはゲームが泥沼化しないためにあり、この方法のマスタリングは、なるべく「ノー」と言わないようにゲームを進めていくものだ。だが君がマスタリングに慣れていないなら、妙な注文がきたときは断っても構わないことを覚えておこう。
それなりに筋が通っているものの、それでも許可したくないときは、無理に「ノー」と言いたいのを押さえ込まなくてもいい。なぜ自分がそうしたいのかを探ってみよう。たとえば、上空にあるストーム・ジャイアントの居城にパーティーがいる。主目標は達成したが、下に行くための脱出手段であるグリフィンは捕まっている。そこまでの道はわかっているが、そこにはクラウド・ジャイアントとお友達が手ぐすね引いて待っている。おびただしい脅威を前にして、プレイヤーはどうやってグリフィンのもとに辿り着いたものか考え出す。プレイヤーの一人が閃いた。城の外壁をよじ登って直接グリフォンまで行けば敵さんの群れを回避できないか?無謀ではあるが、面白い。向こう見ずな冒険者をやってほしいなら褒められるような方法だし、こういう一つ一つの試みが最高の冒険譚に繋がっていくのかもしれない。
だが裏を返すと、それは君が準備したセッションのほとんど全部を無にしてしまう。君は準備するのが好きだ。ゲームのつじつまを保つなどと、上辺を取り繕って水を差してしまうのは、間違っているし身勝手なのではないだろうか?そうじゃあない。ノーと言おう。だがこう言うのも良いかもしれない。「できないけれど・・・」
・できないけれど・・・
妥協した感じの「ノー」をするための骨折りをすること。ことストーリー描写に関して、マスターが何をどうするか自由に決められるのはダンジョンズ&ドラゴンズの特徴だろう。ストーリーの描写のやり方を明文化したルールで規定するRPGも多いが、個人的にはマスター裁量のほうが一般則よりも優れていることが多いと思う。使うシナリオ、今日やるセッションのメモ、ミニチュアの選択にモンスター・マニュアルの処理、D&D Insider用のパソコンさえも、型にはめられることはない。卓についてゲームを始めるまで、君の準備したものはたたき台として扱おう。プレイヤーが、君やシナリオの作者が意図してない、何かしら面白そうなことを見つけるたび、そのたたき台は進化していく。これが裁量的なストーリー描写の構築だ。
グリフィンの話に戻ろう。「やるのは構わないが、どうも自殺行為に思える。窓の外に目をやると1・2階ほど下ったバルコニーが見えた。下りればグリフィンに近づくだろう」
ちょっと遭遇を修正。次の部屋にカッパー・ドラゴンが控えていたなら、グリフィンに辿り着いた冒険者たちと空中戦闘だ。こういう発展的な再構築をしてみると、新しい発見がより良い結果につながり、最初に考えたものよりも記憶に残るものになる!
もうお分かりだと思う。こういう「ノー」は「イエス」の変形だということ。最初はそう思えないかもしれない。変更の度合いが大きければ大きいほど、間違いを犯したのではないかという心配も大きくなる。深呼吸して細かいことに拘るのをやめれば、君はプレイヤーが何かしら良い(良い意味で裏をかくような)ことをしているときでも、別にそこまで核心に迫っているわけではないのに気がつくだろう。
・選択肢から外す
「ノー」を示す一番良いやり方は、キャンペーンやセッションが始まる前に概要を詰めてしまうことだ。この類の「ノー」は君のキャンペーンのテーマや調子を決める土台となる。今やD&D第4版はルールが成熟し、オプションも数が増しているため、新参のプレイヤーが毒気に当てられたり、君が考える冒険の中身がわからなくなるかもしれない。こういう制限は、ゲームのデザインを絞るのに役立ち、キャラクター製作でもプレイヤーに面白く、またゲームに影響を与えるような選択をさせる。
ただ、よく注意した方がいい。プレイヤーの中にはエルフなし、ドラゴンボーンなし、信仰系クラス不可なんていうキャンペーンに横槍を入れてくる人もいるかもしれない。プレイヤーにはお気に入りのクラス・種族・パワーの組み合わせがあり、それを取り上げてしまうのは制裁を与えるのに等しい。また一方で、D&Dというゲームは、ダンジョン・マスターが情熱的な創造をやるとベストなようにできている。君が語りたいストーリーは、相手に自由を感じさせるものであるべきだ。君がダークサンの設定にわくわくして、キャンペーンを始めたくなったと仮定する。通常君は4版にあるものなら(信仰のクラスも含めて)どんなものでも使えるが、古いものを蹴っ飛ばしたくなり、従前のクラスを選ぶことに制限をつけた。そうしたなら、プレイヤーにどういうことをするか、そしてそうするのはなぜか話して理解を求めよう。相手にその考え方と理由について分かってもらえたなら、君はそのプレイヤーがそういう制限を受けるのに意欲を見せているのが分かると思う。柔軟なプレイヤーは、D&Dというゲームは、マスターが創造力をほとばしらせるものであることが分かるし、種族やクラス、選択オプションの制限はその制限ゆえの面白さを見出すものだから。
(後略)
Stephen Radney-MacFarland
http://www.wizards.com/dnd/Article.aspx?x=dnd/dusg/20100617
よいマスターと素晴らしいマスターの差は、「イエス」と言える能力。プレイヤーがしょうもない判定をやりたいと言い出したら?適切な非戦闘遭遇をアレンジしたまえ。誰かがドラゴン誌のシャドーマインド・アサシンを使いたいと言い出したら?キャンペーンに合うキャラクターの背景を作ろう。とはいえ、プレイヤーの要求に次ぐ要求の波に呑まれ、マスターは途方にくれることもあるだろう。「俺って何なのよ?」
ほとんどのマスターは世界観の創造と、マスターとしてのゲームマネージメント、両方を好む。完璧なマスターとは、ひょっとすると二個の人間になるのかもしれない。片方が世界や冒険をつくり、もう片方がゲームを運営する。理想的には、一人で両方の側面を楽しみ、ゲームを運営していく中で「イエス」というスキルを磨いていければいい。それでも、「ノー」と言いたくても、そうするのがよろしくない気がするシチュエーションがどうしても出てくる。
ちょっとしたコツをご覧に入れよう。時には「ノー」と言っても構わない。
・馬鹿言うな!
「イエス」と言えるのもスキルのうちだが、「ノー」で八方丸く収められるのは至難の業だろう。もちろん、アホな要求を「却下」できるのはマスターの伝家の宝刀ではあるけれど。ときには嫌味っぽく、またときには幼稚っぽく、プレイヤーはゲームのルールからぶっ飛んだことができるかどうか聞いてくる。
「翼を生やしてバルコニーから飛んでいい?」
「特技やアイテム、伝説の道にもないなら駄目」
「いいじゃん、いいじゃん、いいじゃん!」
「1出したけど、自動クリティカルだよね?」
「馬鹿言え!」
「イエス」と言えるスキルはゲームが泥沼化しないためにあり、この方法のマスタリングは、なるべく「ノー」と言わないようにゲームを進めていくものだ。だが君がマスタリングに慣れていないなら、妙な注文がきたときは断っても構わないことを覚えておこう。
それなりに筋が通っているものの、それでも許可したくないときは、無理に「ノー」と言いたいのを押さえ込まなくてもいい。なぜ自分がそうしたいのかを探ってみよう。たとえば、上空にあるストーム・ジャイアントの居城にパーティーがいる。主目標は達成したが、下に行くための脱出手段であるグリフィンは捕まっている。そこまでの道はわかっているが、そこにはクラウド・ジャイアントとお友達が手ぐすね引いて待っている。おびただしい脅威を前にして、プレイヤーはどうやってグリフィンのもとに辿り着いたものか考え出す。プレイヤーの一人が閃いた。城の外壁をよじ登って直接グリフォンまで行けば敵さんの群れを回避できないか?無謀ではあるが、面白い。向こう見ずな冒険者をやってほしいなら褒められるような方法だし、こういう一つ一つの試みが最高の冒険譚に繋がっていくのかもしれない。
だが裏を返すと、それは君が準備したセッションのほとんど全部を無にしてしまう。君は準備するのが好きだ。ゲームのつじつまを保つなどと、上辺を取り繕って水を差してしまうのは、間違っているし身勝手なのではないだろうか?そうじゃあない。ノーと言おう。だがこう言うのも良いかもしれない。「できないけれど・・・」
・できないけれど・・・
妥協した感じの「ノー」をするための骨折りをすること。ことストーリー描写に関して、マスターが何をどうするか自由に決められるのはダンジョンズ&ドラゴンズの特徴だろう。ストーリーの描写のやり方を明文化したルールで規定するRPGも多いが、個人的にはマスター裁量のほうが一般則よりも優れていることが多いと思う。使うシナリオ、今日やるセッションのメモ、ミニチュアの選択にモンスター・マニュアルの処理、D&D Insider用のパソコンさえも、型にはめられることはない。卓についてゲームを始めるまで、君の準備したものはたたき台として扱おう。プレイヤーが、君やシナリオの作者が意図してない、何かしら面白そうなことを見つけるたび、そのたたき台は進化していく。これが裁量的なストーリー描写の構築だ。
グリフィンの話に戻ろう。「やるのは構わないが、どうも自殺行為に思える。窓の外に目をやると1・2階ほど下ったバルコニーが見えた。下りればグリフィンに近づくだろう」
ちょっと遭遇を修正。次の部屋にカッパー・ドラゴンが控えていたなら、グリフィンに辿り着いた冒険者たちと空中戦闘だ。こういう発展的な再構築をしてみると、新しい発見がより良い結果につながり、最初に考えたものよりも記憶に残るものになる!
もうお分かりだと思う。こういう「ノー」は「イエス」の変形だということ。最初はそう思えないかもしれない。変更の度合いが大きければ大きいほど、間違いを犯したのではないかという心配も大きくなる。深呼吸して細かいことに拘るのをやめれば、君はプレイヤーが何かしら良い(良い意味で裏をかくような)ことをしているときでも、別にそこまで核心に迫っているわけではないのに気がつくだろう。
・選択肢から外す
「ノー」を示す一番良いやり方は、キャンペーンやセッションが始まる前に概要を詰めてしまうことだ。この類の「ノー」は君のキャンペーンのテーマや調子を決める土台となる。今やD&D第4版はルールが成熟し、オプションも数が増しているため、新参のプレイヤーが毒気に当てられたり、君が考える冒険の中身がわからなくなるかもしれない。こういう制限は、ゲームのデザインを絞るのに役立ち、キャラクター製作でもプレイヤーに面白く、またゲームに影響を与えるような選択をさせる。
ただ、よく注意した方がいい。プレイヤーの中にはエルフなし、ドラゴンボーンなし、信仰系クラス不可なんていうキャンペーンに横槍を入れてくる人もいるかもしれない。プレイヤーにはお気に入りのクラス・種族・パワーの組み合わせがあり、それを取り上げてしまうのは制裁を与えるのに等しい。また一方で、D&Dというゲームは、ダンジョン・マスターが情熱的な創造をやるとベストなようにできている。君が語りたいストーリーは、相手に自由を感じさせるものであるべきだ。君がダークサンの設定にわくわくして、キャンペーンを始めたくなったと仮定する。通常君は4版にあるものなら(信仰のクラスも含めて)どんなものでも使えるが、古いものを蹴っ飛ばしたくなり、従前のクラスを選ぶことに制限をつけた。そうしたなら、プレイヤーにどういうことをするか、そしてそうするのはなぜか話して理解を求めよう。相手にその考え方と理由について分かってもらえたなら、君はそのプレイヤーがそういう制限を受けるのに意欲を見せているのが分かると思う。柔軟なプレイヤーは、D&Dというゲームは、マスターが創造力をほとばしらせるものであることが分かるし、種族やクラス、選択オプションの制限はその制限ゆえの面白さを見出すものだから。
(後略)
Stephen Radney-MacFarland
コメント